練習の終わった選手たちを見送って、ボールの片付けを手早く済ませたら
松原さんや後藤さんたちに挨拶をしてから病院にむかう。

週に一度の習慣はすっかり染み付いてしまっていた。


「アイツの怪我からもう6ヶ月…か」



               夏色スコール


通院から入院になって季節まで移り変わって、
よりその長さを否応なしに感じさせる。
あの姿が見えないピッチに物足りなさに似た違和感を抱きつつも
仕方ないと割り切れる程度には大人なつもりだったが、
どうしても溜め息ぐらいは出てしまう。

病院の入り口の自販機で缶コーヒーを2本、
一応怪我人なので片方はミルク多めを
これも毎度の習慣。
少し考えてからホットに変えた。

コーチジャージの上に羽織った上着のポケットにそれを突っ込んで
もう覚えきった部屋番号を口ずさみながら階段を昇る。

途中、担当医の姿が窓越しに見えたが
経過は先週聞いたし、コーヒーが冷めるしな、と
そのまま足を止めず上がっていく。

とはいえ病院の中はやはり暖かく、まだ冷たいので良かったかなとか
考えながら病室のドアを開けた。


「夏ー…」


ぶわ、と強い風が肩を揺らした。


立ち尽くしたままの視界に飛び込んで来るのは
霞ませるガラスを嫌うように開け放たれた窓と
そこから容赦無く吹き込む冷たい風に踊るカーテン。

緋色の空は部屋のもの全てを染め上げて
そこにいた男の姿は逆光の中でも
眼孔だけは魅入られた獣のように光を放っていた

あぁ、ピッチに立ったときのコイツは決まってこんな顔をしてたよな
そんな事が頭をよぎった。

「っ…うひゃ…!と、徳さんッツ!」

大慌ての声色に呼ばれて、やっと思考が戻ってくる



「……夏木…お前なぁ」

思わず付いた溜め息は窓からの冷たい風と混じって消えた。

『ゴール!これで3対1ー』
「!」

「なーつき…暫くはDVDも見んの禁止だって言ったろー」
「で…っでも徳さんっイメトレくらいしねぇと俺…」
「イメトレで終わらないから入院になったんだろ、全く…」

足元に転がっているボールをベットの下に隠そうとしているのが
窓ガラスに写りこんで丸見えなのはスルーしてやって
ピシャンとわざと音を立てて窓を閉めた。

――DVDを見てたらいてもたってもいれなくなって
こっそり持ち込んだボールで練習したら止まらなくなって
気が付いたら汗だく、バレたらまずいと窓を開けて
部屋ごと身体を冷やそうとしたは良いものの
つけっぱなしだったDVDにまた思考を奪われた。

と、まぁそんな所だろう。

ちらりと振り返ればいたずらのバレた小学生のように視線を泳がせている。

「また世良かなんかに持ってきてもらったんだろ…
 ちゃんと返しとけよー」

夏木には暫くサッカー関連のものは全面禁止。
そう伝えてあっても夏木からの電話を受けたら
世良はあっさり持ってきてしまうだろう。

勿論夏木のために意気揚々ー…ではなく余りにしつこく、かつ
うっとうしい電話から開放されたいからという非常に正直な理由でだが。

「ほら」
「あっども…」

わしょわしょとその特徴的な頭をいじってから
ポケットに入りっぱなしになっていた缶を差し出す。

ちょっと気まずそうにしつつも受け取った缶で
あったけ、と暖をとっているあたり
窓を開けて大分たっていたんだろうと
頬に手を伸ばすとやはり冷たい肌の感触が返ってくる。

「徳井さん?」
「…お前ちゃんと汗拭いとけよ」

今度は風邪で入院延長、なんてシャレにもならん。と
冗談めかして言うが反応が帰ってこない。

いじって遊んでいたモミアゲから指を放して夏木の顔を覗きこむ

「リハビリ…まだ終わんないんすよね…あと2ヶ月…」
「お前が無茶しなけりゃ今頃復帰できてたんだぞ」
「…うっ…でも徳さん…俺ぇ…」

どんよりと沈んだ雰囲気を撒き散らしながら拗ねたように唇を尖らせる。
そんな夏木の横顔を見ていると、つい目を逸らしたくなる。

「(…やっぱ…ゴール決めた時の顔が1番好きなんだよな)」

夏木は性格のせいかテンションによる気持ちの上下が半端ない、
こんなふうに落ち込み始めるとどこまでも落ち込んでいく難儀な奴なのだ。


――何より難儀なのはそんな奴に惚れ込んでいる自分なのだが


選手を育てるコーチとしても
一人の男としても


「(…馬鹿だよな、俺も)」

選手同士ならともかくコーチという立場に居て
一人の選手だけに執着するわけにも行かない。

その上、夏木は結婚して子供も居て、2人の前の夏木は幸せそうで。
それを見ていたいと願うのと自分の本心は余りにも矛盾していた

だから一生、俺はコイツと少し仲の良いコーチ以外には
ならないでいるつもりで



「どうしても我慢できなかったんすよ、俺が怪我したら
 ジーノなんて逆に生き生きして点取りまくるし……徳さん?」
「…大丈夫、大丈夫だ…夏木」

俺はまだコイツの、ETUのコーチで居られる…
そう自分に言い聞かすように繰り返す。

「…俺はお前がETUに来てからずっとわくわくして堪んないんだ
 お前なら何度だってゴール決めてくれる。
 怪我でブランク開こうと大丈夫だって、それだけは信じてるぜ。」


きっとジーノにだって追い越されたりしない。


言っても良いか迷いはしたが本心だ、
こんな言葉他の奴には聞かせられない。

さっき自分で言い聞かせたばっかりなのに
もうコイツだけ特別扱いしちまってるな、と
自嘲気味の苦笑いを浮かべて


軽く伏せていた顔を上げると
若干引く程度には思いっ切り目を潤ませた夏木が居た。

「徳さぁああああんんっ!!
 俺っ…ゴール決めまくりますよっやってやる―――――!!」
「おいこら吠えんなッ!病院だっつの…
 てかボール禁止だってんだろ!」

ひったくるようにボールを抱えて外に出ようとした夏木の
首根っこを引っ掴んでベットに座らせる。

すっかりその気になってジッとしていられないのか
身体を揺らしながらえー徳さぁん、ちょっとだけ!と駄々をこねる。

26歳の男とは思えない駄々っ子っぷりに若干頭が痛い。
もう一度沈み込むまで説教漬けにしてやろうかとさえ思った。

「…ちぇー…徳さんのけち…」
「何か言ったか夏木」

何でも無いっす!と返事はするものの
まだ拗ねた声のままな辺りそこまで反省はしてないんだろう。

「お前なー。やる気になるのは嬉しいが、もーちょっと考えて…」


「だって俺…徳さんに褒めて貰うのが一番嬉しいんだもん」


「え、」


一瞬聞き間違えたかと夏木の顔を仰ぐ。

「一番俺のこと信じてくれてるし、
 …何か兄貴みたいで頼りになるし」

落ち込んで拗ねた顔から気が付けば
思い出し笑いでもしているかのような表情で夏木の言葉が続く。

「だから徳さんにそんな風に言われたら
 じっとしてらんないっすよ」

ベットの上に座り込んだまま
にへ、とかわいこぶって笑う。


駄目だ。待てって。

何で手が伸びてんだよ
今コイツに触ったら、

試合の後に頭撫でたりとか、抱きつかれたりとか。
そういうのと違う意味が入り過ぎてるこの手で触れたら
多分全部駄目になる。

コーチ以外になったら俺はコイツの傍に居られなくなる

「夏、木…」

…でも、コーチとして傍に居ても
俺は一生夏木に触れられなくて

だとしたらこれが最初で最後のチャンスじゃないのか



「あー、いやっ!やっぱ一番は嫁さんとうちの子だよなー!
 早く試合復帰してカッケーとこ見せてぇなー」

「!」


ぎくりと指先まで硬直するように止まり
見開いた目が痙攣するように揺れる。

妻子の惚気を始めた夏木の声を
どこか遠くのものに感じた。


「?徳さん?」
「……何でもねぇよ。
 ま、そのためにも今はリハビリに集中しろよ」

気付かれないように握りしめた手を上着のポケットに入れて
ベットの横のパイプ椅子から立ち上がる。

「えー?もう帰っちゃうんすか」
「あぁ。やっぱ心配になったからDVDも没収な、
 俺から世良に返しとくわ。あと嫁さんが一番ってーならコレもな」
「うえ…!ちょ、あっそれは…ぎゃー!!」

はっずかしー!と頭からシーツを被った夏木を横目で見つつ
枕の下にこっそり隠してあった(多分隠したつもりなんだろう)
同じく世良のみやげであろうエロ本も回収する。

全く。と溜め息を吐きながらも
自分がコーチとしての、友人の顔に戻れた事を微かに安堵する。

「何なら俺が抜いてやろーか」
「セクハラじゃないっすか徳さんのえっちー」


軽口にバーカ、と返してから振り向かないで部屋から出ていく。

左手でドアを閉めると途端弛緩して
廊下に座り込みそうになるのをかろうじて耐えた。


「……あの馬鹿…」

ようやくポケットから握ったままの右手を取り出す。
汗ばんだ掌に情けなささえ感じて何度目かの溜め息を吐きかけた。

ふと顔を上げると廊下の端に見知った
―――夏木の妻子の姿が見えた。

この階に回ってきたのか先程見た主治医と立ち話をしている。

何故か後ろめたさに襲われて
まるで逃げるような姿だと自覚するよりも先に
見られないように廊下の反対にある非常階段から1階に向かった。



病院の外に出ると
部屋に入った時よりも冷たい風に襲われた。

もうすっかり暗くなった景色に気が滅入る。
クラブハウスに戻ればまだ明かりもついて、
誰か居るだろうという期待を抱いた。




金田でも残ってたら呑みに行こう。

同じ職場に同じ悩みを持つ奴が居るというのは
有難いと言えば有難い。


「(しかも俺もアイツも…適いっこない片想いだしな…)」


皮肉なもんだ、とやる気無くグラウンドの周りをウロ付いていると
柔らかく揺れるシルエットに出会う。

「あれ、夏木のお見舞いに行ったんじゃなかったっけ」
「松原さん…ども。」

見舞いはもう行ってきました、と
土産を渡すかのように没収してきたDVDを見せる。

本の方は見せない方が良いだろうと隠したままで。

「夏木のやつ…またこんなの病室に持ち込んでたんだ」
「多分世良のだと思うんで明日返しときますよ。」

笑って受け答えしたつもりが
どこか引き攣ってしまっていたのか
どうかしたの?と松原さんの目が覗きこんでくる。

「……何でも…」

ないです、と続けられなくて目を逸らす。



「アイツが居ないとうまく笑えないなんて…洒落になんないよな」


ポツリと漏らした独り言は松原さんの耳には届かなかったろう。

「コーチの顔って…案外難しいですね」
「顔?」

疑問符を浮かべたままの松原さんを置いて小走りで駆け出す。



でも俺一応夏木のコーチだから
アイツがここに戻ってくるまでには
ちゃんとコーチの顔、出来るよう頑張りますよ


必死で言い聞かせる言葉も声に出して宣言する程の力は無くて
2ヵ月後、俺もアイツもどんな顔してんだろうと笑った。

その笑いは歪だったかもしれないけれど
せめてそう思い込めるよう、楽しみだ。と呟いた。





ある意味ギャグな徳夏。
偉くなると大変だねby達海
コーチってポジションの否応なしに片想い限定っぷりに全俺が泣いた。
徳さんの声伸ばす癖が好きとです。
あと夏木の口調が世良と限りなくニアピンで大変だったよ。
あいつらやっぱ似た者同士だよね…

inserted by FC2 system