隣の王子と銀色散歩


「はっ、は…っ」

ピピピピ…っと手首につけたアラームが鳴る。

「…ふー…」

毎朝日課のランニング。
今日は昨日よりもひとつ遠くの信号側まで来たな、と顔が綻ぶ

道路に面した長い街路樹の連なりは
夏が近付くにつれてサワサワと風に揺れて
朝晴れの空を仰いで首にかけたタオルで頬の汗を拭った

家に一度戻って汗を流してくるか
朝練までしてからクラブハウス内備え付けのシャワールームで汗を流すか

少し考えてからクラブハウスの方に足を向けた


「やぁミック!せいがでるね」
「!?」

突然掛けられた声にきょろきょろと周囲を伺うが声の主らしい人は
―――居た。

横並びの反対車線から遠目でも分かる派手なシルバーの
高そうな車の窓から顔を出したその人は
にこにこと笑いながら此方に手を振っていた


………正直な話…苦手な人だ。

ぺこりと会釈をして、立ち去ろうかと思っていた隙に
その車は気が付けばあっという間に反対車線から目の前まで来ていた

此方の道は路上駐車禁止なのだがこの人にはどうでもいいらしい

「おはよう。」
「…お…おはようございます…」

キラキラとしたオーラを纏ったETUの王子こと吉田さん…

試合で何度がマークに付いてからというものの
妙に声を掛けられるようになってしまっていて
実はこれが初めてじゃない

食事はどうかな、とか
お洒落なバーがあるんだよ。とか
試合中の会話すら…正直ついていけない人だなと思っていたが
行動すらよく分からないことこの上ない
食事に誘うならチームメイトに声をかければ良いのに…

城西さんにはチームが違っても仲良くなるのは良いことだぞ。と
まっすぐに言われてしまったので
出来るだけ失礼の無いように断って来たのだけれど

「クラブハウスに行く時間だろう?送っていくよミック」

――と言われても…

開けられた助手席のドアに思わず後ずさる

「い、いえ…悪いですし…」
「遠慮することはないさ。ほら」

ぽんぽんと叩かれた助手席の椅子は綺麗な皮張りの
車内だけ見ると映画にでも出てきそうな雰囲気で
ますます警戒心が募る

「おっともうこんな時間だ。早くしないと遅刻してしまうよ?」
「で…っですから、俺は走って行きますから…」
「そうかい。…なら僕も走ろうかな」
「!?」

たまには走り込みくらいしろって言われてるしねー。と
鍵も外さずに車から出てきてしまうのに目を見開く

じゃ行こうか。と髪をかき上げた姿は
どう見ても走る格好どころか、これからデートにでも行く気かと思えるもので

こんな姿の人とジャージで一緒に走るだなんて…
考えただけで頭がぐらぐらと痛む

現時点で道中のからの視線が痛い上に
鍵が刺さりっぱなしの車が軽く渋滞をおこして
後ろでクラクションを鳴らされまくっているのに、どうしてこの人は
行かないのかい?なんて言いながら人の腰に手を回してきているのか

「わっ…分かりました!乗ります……のりますから…」

早く出して下さい…と溜め息のように呟いた


+


「〜♪」

すこぶる御機嫌な横顔にふかふかの座席
普段通っている道なのに車の中から見ると妙に落ち着かなくて

ゆったりとした車内だというのに
まるで満員電車の中のように体をちぢこませて
窓際ギリギリに座り込んだ

「もっとリラックスしてくれれば良いのに。とって食べたりしないよ」
「は…はぁ…」

一瞬冗談だったはずの言葉にも背筋が凍った

ETUの10番…てっきり変な事を言うのは
試合中にこっちを動揺させるためだと思っていたのに

試合の後、握手をと差し出された手を握り返そうと右手を伸ばしたら
にこりと笑って、またね僕のミック。と
その手の甲にキスをされた時はあんまりびっくりして声まであげてしまって
…思い出すだけでも恥ずかしい

チームメイトのなんだなんだという好奇の目と
相手チームからの同情に似た苦笑に
思わず真っ赤になって逃げ出すように駆け足でピッチから出ていって

控え室の前で出会ったETUのキャプテンに

「すまんな、ウチの10番が…あいつは少し…頭が可哀想な奴で…」

と言われた時には ショックで倒れそうになった

雑誌やビデオで見たときは
少しやる気にムラがあるけれど、それこそ王子と呼ばれるのだから
品性良好で真面目な人だろうとー…
そんな選手のマークにつけることに胸高鳴らせてさえいたのに

異国の王子というより失礼ながら変人と言った方が良いんじゃないだろうか
会話がいまいち理解できないのは
確かに異国らしいといえばらしいのだが


思い返したことでどっと疲れを感じたせいか
居心地の悪さ故の息苦しさでか喉がつまる

「あ…あの…窓を開けても良いですか? オレ走り込みの後で汗くさいですし」

せめて窓から風が入れば違った空気になるかも知れないと思い訪ねると
あぁ良いよ。と返されたので窓の周囲に手を伸ばし――
どこを押せば良いのかすら分からなくて肩を落とした

ただでさえ車自体に慣れていないのに
装飾が多くことごとく派手な、こんな車ではどうすることも出来ない。

もう一度あの、と声を掛けようとした時

「僕はキライじゃないけど」
「ー…ッ!」

掠めるように肩のタオルを取られたことに反応する暇もなく
汗すらまだ乾いていない首筋に高い鼻先がくすぐるように触れた

ひゃ、と喉がひきつり叫びかけたが
それよりも先にうぃぃ…と窓が開く音がして
そのまま首筋の感触も消える

さっきまでと何ら変わらない運転席の姿に頬が赤らむのが自分でも分かった

声を出さなくてよかった。
急に顔が近くに来たのは単に操作の分からない自分の代わりに
窓をあけようとして腕を伸ばしたからで
それに妙な熱を感じたのはきっと変に警戒してしまっているだけなんだ

「………っ」

そう思ったら変な人だと警戒しきっていたことがだんだん申し訳なくなってきて
横顔をバレないように見つめる

お礼を言おうか謝ろうか迷っているうちに
何も言えないまま見慣れたクラブハウスの高いポールが見えてきた

「あ、あの、わざわざ本当にどうも…ありがとうございました」

せめて送ってもらったことへのお礼だけはきちんと言おう、と
ぺこりと頭を下げる

「ここまで来たら練習グラウンドの前まで送るよ」
「いえここで…」

大丈夫です。と言いかけて
ふとハンドルを持った手首の時計に目が行き、
思ったよりもギリギリな時間だったことに気付く。

ギリギリと言ってもいつも早めに行って
アップを済ませている時間が近いという程度だが

出来るだけ先輩やコーチたちよりも先に芝に出ていたいと思っていれば
ギリギリと言えばギリギリの時間で。

すいませんお願いします…と小さく伝えた



+



練習グラウンドの中では城西さんと数人
アップを始めたり談笑している先輩がいる

改めてありがとうございました。と伝えて車から降り、
少し早足になるようにグラウンドに向かう

「おー、おはよう三雲、今日はちょっと遅いじゃないか」
此方に気付いた先輩に声を掛けられ、すいませんと返そうとした時

軽いクラクションと一緒に、妙によく通る声がミック。と呼んだ


振り返ると車に寄りかかるように立っているあの人の手に
さっき首元からすり抜けたタオルが握られていて
忘れ物だよ、と彼の口が動いた

「あれってETUの…?」
「っ…!」

軽くざわつくグラウンドから慌てて向きを変え
駆け足で今来た道を引き返した

「す、…すみませんタオル…っ」
「はは、そんなに慌てなくても」

ふわ、とマフラーでもかけるように肩にタオルを置かれ、
その端で頬の汗を拭かれる

「……」
「ん?どうしたんだいミック」
「い、いえ…!…その…何から何までしてもらって…」

そういえば、そもそもどうしてこんなに構われるのだろうか
単に人を構いたがるタイプなら話は簡単なのだが

チームでも構いたがるというか年上顔をしたがって
弟扱いのようなことをされることはよくあるが
なんだか弟や年下扱いとは違って――なんというか…

「どうしてか…分からないかい?」
「あ、…えっと…」

どうしてだろう。と不思議に思っていたのが表情に出ていたのか
笑いながら問われたので少し考えてから はい。と素直に答える

「…なら分かるまで、こうやって送り迎えすることにするよ」
「え?」

見上げた瞬間、さっきまでより目の前にある顔が近いんじゃないかなと
そう感じて名前を呼ぼうとして開いた口に
しっとりとした何かが重なる感触がして

「ッツ……!?」

それが何かに気付くよりも先に
腕を掴むてのひらの熱に驚いて目を見開いた

硬直したように見開いたままの視界を震わせていると
その視線の先をくすりと笑う吐息が霞めて離れて行った時
やっと理解できた状況に一気に頭が沸騰した

「な、な…な――――!!?」

手の甲にされるのとはワケが違う

今度こそ意味が分からずに袖口で覆った口元が
ぱくぱくと踊り、引き攣るように歯を喰いしばる
そんな姿を見ても謝罪どころか不思議そうな顔で笑っている

そんな王子の表情に
握った拳が決まったのはあまりに当然と言えば当然で

バキィ…という小気味良い音…と言っても
殆ど無意識で動いた右手は握りしめるほどの力も入らなかったらしく
音と衝撃だけのものになってはしまっていたのだが
その派手な音を掻き消すような声を叫んだのも
同じ程度に無意識だった


「――っふざけないで下さい…ッツ!!」


うっすらと赤く腫れた頬を一瞥すらせず
目を丸くする先輩達の横をすり抜け、脱兎のように
クラブハウスの中まで全力で走って行った



+



散々だ、あんまりだ。何て日だろう。

朝の騒動の所為で練習にも集中できずに
コーチからは怒られるのを通り越して何があったんだと心配される程で
自分の情けなさに嫌気が刺す

何でもないフリも出来ないくせに何でもないです、と言う度に
朝の感触がよみがえってきてー…


学生時代にはもう既にサッカーばかりの日々で
マネージャーの存在にドキドキすることさえ無いまま生きて来た

――だから…初めて、だった

もう一度拭うように擦った唇に残る感触にぎゅうと目を閉じる

呑み会で酔ったシャリッチにされそうになったことはあるが
自分がモテるタイプではないのは重々分かっている
だけどそこそこの年齢になったらきっとそういう機会も来るだろうと
それくらいは思っていた

……それとも外人ってああいういうものなのか…?

まぁハーフらしいのだが、あぁいう慣れない軽さはだからなんだろうか

素面で、あんな軽い態度で簡単に――

とにかくもう今日は帰って寝よう。
明日だって練習があるし、これ以上無駄な事を考えてても仕方ない
…、とは思っても足が重い

「…はぁ……帰るの面倒だな…」

「なら迎えに来て丁度良かったね」
「!」

今日だけで妙に見覚えの出来た車が
電灯の下で静かなエンジン音を掛けているのに気付き
心臓が止まりそうになった

「送り迎え、するって言ったろう?」
「……っ頼んでません…!」

何なんだこの人は…!と
怒鳴りつけたくなる気持ちを押さえて顔を背ける

「待ってよミック」
「付いて来ないで下さい…っ」
「待ってってば、謝りたくて来たんだ」

え、と振り返ると少し困ったような笑顔に捕まる

「どうも僕は人を困らせることが多いみたいでね
 ミックのことも怒らせちゃったみたいだし」

乗ってくれないかな、ちゃんと謝りたいんだ。と
言われてしまえば逆に申し訳なくなって
誘われるままに助手席に乗り込んだ


バタン、という音が妙に響く

朝と比べて夜の道は妙に静かで
ただ朝とは違ってそれを打ち消すように
隣からの通る声が耳に届いた

「朝会った所から近いのかな」
「あ…えっと、クラブハウスへの道を逆に真っ直ぐ行って…」

クラブハウスの寮に入ることも考えたのだが
近くに丁度先輩から勧められた安い部屋があったので
どうせならとそこに住むことにした

「そういえばあっちの方に良く行く店があってね、良かったらどうだい?」
「いえその…逆に悪いですし…」

正直な所この人に謝罪、反省という態度が取れると
思ってすらいなかったので
今朝の事を申し訳無いと思ってくれているだけで充分だ

「挨拶とか冗談で、…あぁいうのは止めてほしかっただけですから…」
「そうだ…そういえばちゃんと謝ってなかったね」

キ、と車体が低く鳴いて道の途中で停まった

家がもう見えかけているが信号待ちだろうかと顔を上げるが
そういうわけでもないようで

まぁ周りには殆ど他の車の姿は無く、
一時停車しても問題は無い時間帯ではあるのだろう

「…?」

ハンドルから離れた手がするりと伸びて
がくんと座席が倒された

「うわ、…あっ!…?あ、あの…っ?」
「僕も反省してるんだよ…君のチームメイトにも見られたかもしれない」

その言葉にカッと顔が赤くなる
…というかそれもあって手が出てしまったのだし

「ほ…本当…ですよ…あんな冗談……」
「いつもはちゃんとムードを大事にしてるんだけど」

デートの申し込みはいつも断られてばかりだから、と
初めてキスされた手の甲に親指が滑り
傾いた座席をそのまま背にするように覆いかぶさられる

「え…、ちょ、…!?」

サラサラと顔にかかる少し灰色がかった髪の毛の感触に
顔を背けようとした首筋に吐息がくすぐるように流れた

「もっと…ちゃんとしたキスをしないといけなかったよね」

「――――ッツ……!?」

見開いた目が引き攣った呼吸のようにぶるぶると震える

「(な、なんで…もうしない、んじゃ…ッ?)」

乾いた唇をぺろ、と薄い舌に舐め取られる感触が信じられず
今度は生理的な涙が浮かぶほど強く目を瞑った

「ひ、はっ……や…め……」

何で。どころか自分が何をされてるのかすら分からない
舌の上を舌先が撫でていって、ぬるついた唾液が喉に落ちて

完全にパニック状態になった所為でか逆に冷静に
舌の動きを感じ取れる
それでもこれがどういうことなのか全く理解できない

ミック、と呼ぶ声が霞んだ頭にぼんやりと響く

少し低いけれど綺麗に通る声
何も考えられないまま無意識にそれを気持ちいい…と
確かにそう思ってしまって

「僕のお姫様はまだ分からないままなのかな…?」
「…わから、な…?」

ぼんやりと反芻してから
そういえば朝にも同じようなことを言われたと思い出す

そう聞かれて、同じように見上げた時に――

「……ッツ…」

あの時と同じように整った顔立ちに見つめられてることに気付き
急に冷静に戻った頭で心臓の煩さばかりを自覚した

デート、なんて声をかけて
変に思えるほど優しくして

連れ込んだ車の中でキスをして


そんなことをする理由、なんて


「―――し…っ失礼します…!!」


咄嗟に車内から飛び出して暗い道を全力疾走する
冷たい夜の空気を吸っても
頬の熱が一向に引かなくて泣きそうになった




―――バタン!!


「はぁッ!はぁ…はぁ…ッ」

後ろ手で力任せに閉めたドアが耳障りな音を立てる


「何なんだあの人… …なんで…」


鍵を掛けようにも指が震えてうまくいかず
そのままずるずると凭れかかる様にへたり込んだ

せっかく落ち着きかけた頭の中身が
またぐちゃぐちゃになって

あの人に会っただけでどうしてこうも乱されるのか

どこまで変な人なんだ、絶対に頭がおかしいんだ
だからオレをからかうのが楽しいんだ…

ぎゅうと唇を噛んで目を瞑るが
眠るどころかうまく息を整えることすらできない


逃げ出した時に後ろから追いかけてきた
また明日、という声がじんじんと熱を持った耳の奥で響いていた




王子がどこまでもキメキメでナンパするけど
それが逆に気持ち悪くて引いちゃう三雲の素直さに全力で感動
ジノミクのBL力すげぇ。
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